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その場所で生活する理由

その日、幼いわたしは機嫌が悪かった。トレーナーの袖口が狭くていやだ、くらいで軽い癇癪を起こすような子どもだったからなんかしらのなんてことない理由があったのだろう。よくあることだから家族は慣れていて大してかまってくれない、週末のお昼時表参道のまい泉。

かまってくれないとはいえ、子ども用の椅子に座るわたしにお子様ランチを頼んでくれた。家族はそれぞれヒレだかロースだか、カキフライだかを食べていただろうけれど、わたしは機嫌が悪いし、少し泣いているのでなにも食べられない。 親は “食べないの?” くらいの声はかけてくれただろうけれど、何を言っても仕方ない。そのままのお子様ランチがずっと目の前にある。
家族が食べ終わる頃に、親よりも年上、おばあちゃんよりは若いおばちゃんの店員さんが 『あら、どうしたのーかわいそうに、包んであげようか?』 そんなふうに声をかけてくれた。
食べられなかったお子様ランチを全部包んで持って帰れるようにしてくれたのだ。
だいぶ小さかった時の出来事をこんな風に覚えている。その店員さんの声掛けはわたしにとっては大きく、ふてくされていた幼いわたしに染み入って長期記憶にまでなったわけだ。


2022年の夏、天津に戻ってきて在留許可を申請するために出入境管理処にいく。タクシーで一時間を超えるくらいのところだから、事前にアプリでタクシーを予約しておいた。おばさん運転手のタクシーがきてくれた。
向かっている途中 『どうせ市内に帰ってくるのだったら、手続き終わるまで待っててあげようか?』 とおばさんが言ってくれる。アプリで呼んでいるので行き先がわかっていて、何か手続きをしに行くと思ったのだろう。
申請するだけでもどれくらい時間が掛かるかわからないよ伝えても、平気平気、待ってる と言ってくれたのでお願いした。
ここまでも拙い中国語でやりとりしているので、優しい運転手さんでよかったとホッとする。
あと運転がとても丁寧でクラクションは一度鳴らしたきりだった。
(こちらは40秒に一度のペースくらいで鳴らす運転手さんもいる)

目的地に着き、“ありがとう行ってくるね、”と伝えると何故かおばさんも一緒に降りてくる。
休憩でもするのかなと思ったら 『あなたは言葉ができないから困るでしょ!だから一緒に行ってあげる。』 というようなことを言った。

待っていて帰り道もわたしを乗せるということは売上的にプラスにもなるし容易く理解できたが、手続きにまでついてきてくれるという提案は十分に驚かせる優しさだった。


染み入って忘れることのない、思い出すとお湯に浸かっているような気持ちになる優しさというのがある。
東京で生活する大人になった自分はある程度のことはこなせてしまうから忘れていたけれど、そういったものが蓄積してちょっとした勇気とか、そこにいる理由とかになっていく。

中国の天津での毎日は簡単に言い表すことはできなくて、誤解がないように言葉を重ねて重ねて伝えたいことも 端的に言い切ってしまいたいこともある 役に立つレポートのようなものは出来ないし するつもりもない。
真っ直ぐ肯定できることばかりではない煩雑な感情になる情報は幾らでも入ってくる一年だったけれど、その日目にしたことや、かけられた言葉が自分にとって大切だし、それが生活じゃん、とも思う。
今となってはだいぶ執着(好意)もある、天津での生活を書いていこうとこの場所をつくりました。

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