2024.06.19
中国のトイレ事情、というレポ的な話ではなくて。
夏の深夜世田谷の住宅街。飲んだ帰りに歩いていたわたしをタクシーが追い抜いて、マンションの前で止まる。中年の男性が降りてきて、そのマンションの整った植え込みに向かって立ちションを始めたのだ。
うわぁ……という嫌悪感を抱いたが、次にすぐ ずるくない? と思った自分がいた。
おそらく、その男性は、飲んだ帰りかなんかでタクシーに乗って、家に着く前に尿意が我慢できなくなって、一旦ここで止めてください!って運転手さんに言って、その場で降りて、立ちションをしたのだろう。
じゃあそれが自分だったら? 近くのコンビニまで行ってもらって、一度下ろしてもらって、店員さんに トイレ貸してください! って言って、トイレに駆け込む。(東京のそのコンビニがトイレを貸し出してくれているかもわからない!)
その前に限界が来てしまったら、もう漏らすしかないが、タクシー車内ではまずいので、立ちションをした男性のように降りて、でも、服を着たまま漏らすしかないだろう。
当然に全ての立ったまま排尿できる身体構造の人が尿意を抱いた時に立ちションを選択するわけではないし、多くの方がトイレを目指すだろう。けれど、今まで生活しているなかで、男性が立ちションを選択するシーンというのに出会ってきている。飲み屋街の建物と建物の間で目撃したことも、山やキャンプに行った時の、ちょっとその辺でしてくるわ!みたいなやつも。
その度にぼんやりと思っていたことが ずるくない? という感情で湧いてくる、深夜の世田谷。その男性はマンションの植え込みに立ちションをしたあと、何事もなかったかのように再度タクシーに乗り込み去っていった。立ち止まりその一連の流れを見るわたし、蘇る、男性が気軽に排尿するシチュエーションの数々。 なんなの!
その時調べて、街路または公園その他公衆の集合する場所での立ちションは軽犯罪法違反であることも、〈排尿に関する男女平等〉 という言葉があるのも知った。
その深夜世田谷での出来事は何年前か思い出せないくらい前のことで忘れていたが、中国の天津で生活するようになって、立ったまま排尿できる身体構造の人、羨ましい! とまた思うようになった。
天津では中式(和式)のトイレが圧倒的に多い。
綺麗なホテルやショッピングモールはもちろん洋式もあるが、ローカルの飲食店などは中式が多い。日本の環境とは違うので同じようにはいかないのは当然だし、自然と伸縮性のないジーンズなんかは履かなくなった。しゃがめないから困るのだ。気候で変わる服装、トイレ事情で変わる服装。
清潔度合いもまちまちで、飲食店なんかではその日の店にいるメンバーによる。みんなで綺麗に使うかどうかだ。
そしてその和式のトイレが男女共用のものだとして、多くの立って排尿できる身体構造の人は立ったまま排尿していると思う。
ある時まあびしょびしょなトイレを前にして、なんかこう、床との距離全然違くない?!と思ったのだ。
撒き散らされた尿との距離、しゃがんで排尿する人の方が、断然近いし、それと、しゃがんでした人が撒き散らす度合いと、立ってする人の度合い撒き散らす度合い、違うよね? 立ってしたことないけど、絶対飛び散るよね?
出来るならば、わたしも立っておしっこしたい、と思った。びしょびしょに加担したいということではなく、距離を取りたいと思った。
深夜の世田谷の後、なんなの!という感情起点であれこれ調べていた時に、女性が立ったまま排尿できる補助グッズがあるということを知った。それを思い出して、googleで調べたらアウトドアや災害時などに使用できるということが推されているシリコンで出来たものが売られていた。記された必要なシーンに納得する。
わたしが使うには毎回洗うのは無理だ……と断念したが、こんなに中式が一般的な世界なら絶対になにか解決策はあるだろう!と思い、中国のなんでもある共同購買プラットフォーム 〈拼多多〉で検索。
中国語でなんて検索したらいいのかわからず画像検索したところ、見事、紙製で使い捨てできるものがでてきた。パッケージにはお腹の大きい妊婦のイラストが書いてある。
たしかに、お腹大きい時にしゃがむって、大変じゃないだろうかということにも気付かされた。すっかり抜け落ちていた視点だった。
そのツールはとても単純な、厚紙で作られた先が細くなっている筒だ。漏斗できなもの。そして紙なので使い捨てができる。中国では紙を捨てる用のゴミ箱が個室内に必ずあるので、捨てるのも問題がない。
これを出かける時持ち運ぶようになった。でも、これを使ってもしゃがんでいる。しゃがまないと便器までの距離が遠すぎて、どう考えても飛び散る。それがこのツールを使い立ちションをできるようになってわかったことだ、とてつもなく飛び散る!絶対に!
それがわかった以降もなぜこのツールを使っているかというと、これがあると、完全にしゃがまなくてもよいし、コントロールが容易くなったり、濡れていないところに足を置いてしゃがんだりができるから、あると楽なのだ。
毎日、色々なことに折り合いをつけて生活をしている。ただ仕方ないと思うのではなく、少しでも自分が楽になって納得する方法を探したい。相変わらず立ちションが羨ましいと思うし、トイレを取り巻く環境が少しでもよくなればいいなと思うことは変わらない。気持ちの問題だとしても無視してはいけない。そこを諦めないしかない。
この紙の立ちションツールのおかげで、ローカルのお店で薄い中国ビールをたくさん飲むことも、お茶市場にいってたくさん試飲させてもらうことも容易くなった。