削られてばかり2021年、いやそれずっとじゃん


2021.02/15# ノート

わかったようなことをいい、理解しているふりをした直後に踏みにじったようなことを言っていく人、いままでどれだけ出会ってきた?

その度に話さなければよかったと後悔する、そんなことの繰り返しで今2021年。自分の生きていきた中でもそう。 ニュースを聞いていて改めて考える。

 

事務所の帰り  坂を登りながら悲しくなる、普通に生活しているだけで、なんで削られなきゃいけない?

自分の気持ちの、なんとか形を保っているような部分が、削られる気持ち、チーズグレーターでゴシゴシと。

 

 

帰ってうどんを茹でて食べた。こんなときはうどんだって、ハロプロが教えてくれた 明日が待ってるもん (つんく)

 

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23時新宿 駅に向かって歩いているところ

 

横から男性二人組に話しかけられて 合コンをすっぽかされたんです、今日じゃなくてもいいです……よくある引っ掛かりもないワードを投げかけられ続け 歩きながらただ頷いていたら

最後に 「なんか、そんなにたくさん頷いてくれてありがとうございます!」と言われた。

 

口も開かず頷いてるだけでありがとうと言われるなんて~と思ったけれどそもそも話しかけられた時点で不快なのだ。

そもそもを無視して いいように捉えるスキルが生きているだけで 上達してしまう。

自分に染み付いたものを思い知らされる。

 

 

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本を読む気力がないとき、歳時記を捲る。目の前を、いまを見てもいいし 遠いいつかをおもってもいい。

もう今日で人生終わってもよし、なんて考えられてもいない簡単な絶望を思ったとしても、

見えていない 果てしがない解像度があるということをわからせてくれるのが私にとっての歳時記。  

 

 

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別の日に書いている日記のようなものはつながっている。

ニュースを聞けば凹んだり、まだここか、と思わされたりすることが立て続いているように感じるが、

考えてみれば「いやそれずっとじゃん」 

 

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『無意識のバイアス――人はなぜ人種差別をするのか』ジェニファー・エバーハート

『存在しない女たち: 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』 キャロライン・クリアド=ペレス

『ケアするのは誰か?: 新しい民主主義のかたちへ 』ジョアン・C. トロント

『民主主義のつくり方』宇野重規

『違国日記 7』ヤマシタトモコ


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