2020.12/10# ノート
このウェブサイトをつくるときに、ノートという項目をつくることは
早々に決めていて、それは文章が書きたかったから、書こうと決意したからである
制作物をきれいに羅列するサイトは自分には向かないし、
ポーンと何かを放りなげることができて、
それがどこに向いてなげられたものかもわからないし、、、
みたいなものを見られるのが、
サイトやブログのよいところだと思っているからです。
だからわたしはポーンと 球というか、
スポンジで出来た球のような飛ばない球をただの空間に放りなげたい
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水上勉『土を喰う日々』の中に
イギリスの劇作家が家に来た際に高野豆腐を煮たものだしたところ、
この美味しいスープは何なんだ といい、
それがなんであるかを説明してもスープと言って聞かなかった、
という記述がある。
わたしがインターネットにほおりたい
“スポンジで出来た球のようなもの”は
高野豆腐かもしれない?
軽いし、サイズ感もいい、戻せば重い
ただのスープガラにも捉えられるかもしれない
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ここまでの文章は、2016年に下書きにのこしていたものを、2020年のいまみつけた。
もちろん記憶にない、何言ってるかわからないけど わたし高野豆腐をほおりたかったのか。。と読んでしまった。
この4年間、もちろん実行できていない。4年間なにがあって、なにがかわっていないのだろう。
ある日曜深夜、また文章を書こうと思った。
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わたしに 絵を描けば?と言った人は一人もいないけど、文章書いたら? 日記書いたら?と言ってくれた人たちはいて、その顔を思い浮かべると大切な人たちであることに今さら気づいた。
その度におしてもらって、少しやってみるものの、生活の忙しさ なんて言えない自分の怠惰や向き合うことから逃げてすぐにやめてしまった。
小学三年生の時にはじめて作った自分のホームページに飼っていた犬のことを書いた。
デジカメで撮った写真も載せて うちの犬はかわいいですこの間は八ヶ岳に旅行に行きました
そんなような内容だったと思うけれど、学校で出された作文ではない、自分から書いた文章は はじめからインターネットに載せてしまっていた。
そこからの10年間くらいは、文章を書いては、あらゆるサービスを使ってインターネットに放りなげて 人目に晒してきた。
楽天日記のアクセスカウンターをみて あっ今日はこんなにも人が来てる って思ったことは覚えているから一応人が見ている 見られるものということはわかっていた。
その時は自分なりに視野を精一杯ひろげていたけれど、今考えてみれば なんて無邪気でそんなにも物を気にせず何かを毎日書き続けていたなと思う。
そういう無意識さや身軽さはもう取り戻せないにせよ
ふと大切な人たちの顔が浮かんでしまったので
ちょっとやってみようかなと思い 続く予感もせずにはじめてみる 何度もそういう気持ちになってきた日曜深夜だから 今度こそ続くなんてこともないな きっと
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